言葉は外からやって来る【言葉は魔法】

 言葉は魔法。

 言葉は魔法です。
 言葉は魔法でございます。
 言葉は魔法だ。
 言葉は魔法である。

 こうやって並べると、ずいぶん印象が違うなあと思います。

 たとえば敬体で書くときと常体で書くときには違った自分を感じます。違った自分がいるといってもかまいません。軽度の憑依(軽度を付けてもおおげさな言葉ですね)を覚えます。

 要するに、人格が変わる感じがするわけです。その人格が自分かというとそうも言い切れません。自分というのは借り物ではないかとつねづね思っています。

        *

 書いたり話していると(書いたり話していなくても)、どこかからかやって来るのです。そして言葉が出るのを助けてくれます。うーんうーんと苦しんでいると助けてくれるのです。まるで助産婦さんみたいに。それが自分です。

 自分が外からやって来るのです。もちろん自分がいてそこに言葉が来るとも言えますが、容れ物があってそこに自分が来ると考えてもかまわない気がします。

 言葉は借り物。
 自分は借り物。
 言葉は自分。
 自分は言葉。

 言葉をつかうと何とでも言えます。これが言葉のすごいところです。頭の中で空想すると何でも起きますね。どんなことでも思えば、または考えれば、それが情景となって頭にぼんやりとあるいははっきりと浮かんできます。

 思いと言葉は似ています。何でも可能だというところがそっくりなのです(夢にも似ていますね、ただし夢の中では思い通りにはいきませんが)。思いの中では何でもできるし何でも起こる。言葉にすれば何でも言えます。

「思いを言葉にする」は上手か下手の問題であり、そこそこ簡単ですが、「思いを現実にする」は難しく不可能と言ってもいいくらいの話になります。「言葉を現実にする」も「現実を言葉にする」も簡単なようで、きわめて難しいです。

 現実がからむととたんに難しくなる。これが現実のようです。

 思いと現実、そして言葉と現実とのあいだには深い溝があるからかもしれません。たぶん絶望するしかない深淵があるとしか思えません。ひょっとすると現実は人にはとらえられないものなのでしょう。

 目の前にあるはずのものがとらえられないなんてすごい話ですね。でも大丈夫。言葉があります。その代わりに言葉があるというべきかもしれません。

 言葉は魔法。
 言葉は代理。
 言葉は代用品。

        *

 言葉をつかうと何とでも言えます。何でも可能な気がします。すきっとします。頭がさえます。世界がクリアに見えます。ぼやけてなんかいません。曖昧なものがないのです。すごく気持ちがいい。

 だから、人は言葉に依存します、嗜癖します。言葉は魔法。いや、魔法を生み出す嗜好品。人にとって言葉こそが最強の嗜好品なのかもしれない。

 人は言葉に依存・嗜癖している。
 言葉なしでは生きられない。

 いや嗜好品どころか、人にとって言葉こそが最強の麻薬・魔薬なのかもしれない。

 こんなものが人の内にあるはずがありません。言葉は外からやって来るもの。外から来て、脳内なんとかが分泌するのをうながします。だから、人は言葉をせっせと摂取するのです。言葉漬け言葉浸りになるのです。

 人は言葉に依存・嗜癖している。
 言葉なしでは生きられない。

 言葉は神・物神・事神・言神。
 言葉は魔法。

        *

「私は空を飛びたい」「私は空を飛べる」「私は鳥になりたい」「私は鳥だ」

 言葉をつかえば何とでも言えます。「言える」だけです。「そうなる」とは限りません。言葉と思いはどうにでもなりますが、現実だけは思い通りにも言葉通りにもなりません。

(「~したい」は思いを言葉にしているとも言えますが、こういうのを夢と言っているのは興味深いです。眠って見る夢と願いを同じ言葉で言うなんてなかなか洒落ていると思います。思いと言葉にかける切実さや必死さも感じます。夢の力にあやかりたいのでしょうね。)

 でも言葉にすることで他人に伝えることができます。「思い」はなかなか伝わりませんが、言葉にするとそこそこ伝わります。「空を飛びたい」と念じても他人には分かってもらえませんが、「空を飛びたい」と口にすれば、「わたしも」「おれも」「おいらもなんだよ」「みんな同じだね」「うれしいなあ、一人じゃないんだ」という言葉が返ってくるかもしれません。

 すばらしいです。言葉は魔法。

 みんなで一致団結して知恵を出し合い、次の世代にも夢を託す。思いがつぎつぎと広がり、時間を超えて伝わる。

 そして思いが、言葉が、実現する。

「ついに空を飛べた!」「翼よ、あれがパリの灯りだ」「地球は青かった」「人類にとっては偉大な一歩だ」「〇〇星を間近で撮った映像を見えることができた」

 いきなり「そうなる」は無理にしても、言葉をつかって言うことは「そうなる」への第一歩であることは確かでしょう。言葉に依存し嗜癖するわけです。こんなすばらしいものが他にあるでしょうか。

 寝っ転がっていても、言うだけならできます。口にして、その実現を思い描くことができます。この快感を覚えたら、もう手放すことはできないでしょう。

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 言葉は魔法です。
 言葉は魔法でございます。
 言葉は魔法だ。
 言葉は魔法である。
 言葉は魔法なのよ。
 言葉は魔法さ。
 言葉は魔法だべさ。

 こうした言い方はパターンというか型です。紋切り型とか決まり文句とも言えますね。

 人にとって言葉は生まれたときに既にあったものです。すぐに着られるという意味ではプレタポルテでしょうが、高級なものではなさそうなので大量生産された既製服、一種の制服でしょうか。お仕着せという古い言葉も似合いそうです。

 言葉は服。
 言葉は既製服。
 言葉は制服。

 着ているものを変えると気持ちが変わりますね。新しい服を身につけたとたんに違った人格になった自分を発見した。そんな経験はありませんか。

 文体を変えると、それに近い気分になることがあります。いつもとは違った書き方を試してみるとか、語尾だけをやさしくしてみるとか、逆に硬くしてみる。ある作家、あるいはnoteで気に入った書き手の文章を真似るとか、その「声」を借りてみる。

 ちょっと気取ってみる。やさぐれてみる。おちゃらけてみる。いい人ぶってみる。いい人ぶった人を真似る。振りの振りをする。真似るの真似をする。

 テレビドラマのあるキャラクターになりきってみる。ある俳優や有名人になりきってみる。その「声」を借りて真似てみるのです。

 言葉は声。
 言葉はなりきり。
 言葉はなりすまし。

 話を文章に戻すと、奇をてらうのもいいでしょう。受けをねらうのも勉強のひとつです。せっかくひとさまに読んでもらうのですから、楽しんでもらいましょうよ。自分も楽しみましょう。

 思い切って、嘘をつくのです(嘘を書くことこそが文章の極意だ、と誰かが言っていた記憶があります)。あえて変わったことを書いたり、誇張してみたり、嘘をついてみたり、事実を脚色するといった行為は、プロアマ関係なく誰もがやっていますね。

 言葉は嘘。
 言葉をつかうと何とでも言えるし、どんなふうにでも言える。
 言葉はでっちあげ。
 作文は借文。

        *

 飾りや遊びのない文章は味気ないから読まれない。そう自分に言い聞かせて、このさい開き直りましょう。自分というラベルを剥がしてみるのです。自分の中にあるはずの知らない小部屋に気づいてみるのです。その扉を開けてみましょう。

 別に嘘つきになれと推奨しているわけではなりません。人と話すときに、自分でも思いがけない内容を口にしたり、ふだんと違った話し方になることがありませんか。

 真似るというよりも、出てくるんです。いまお話ししているのは、それとも似ています。あれよあれよと出てくる。

        *

 他人の目を意識して書かれない文章はない。誰もが誰かに宛てて書いている。その誰かをいろいろと変えてみるのです。今日は、〇〇さんに宛ててメールを書いてみよう、なんて乗りで試すのもいいかもしれません。

 言葉は手紙。
 言葉はメール。
 言葉は架空の手紙。
 宛名と宛先はとりあえずのもの。
 言葉は宛名や宛先のないメール。

        *

 書くことは自分ではないものに身をまかせる行為なのです。自分ではないものとは言葉にほかなりません。言葉は誰にとっても借りものであって、代々受け継がれてきた共有物です。誰にとっても、生まれたときに既にあるものです。自分から出たものじゃありません。

 言葉は外からやって来るもの。
 自分は外からやって来るもの。
 すべての言葉は引用。
 自分は引用。
 現実も引用かもしれない。
 世界も宇宙も引用なのかもしれない。

 誰もがまわりの人たちを真似ながら言葉を身につけます。生まれたときには既にある制度でありルールですから、自分ひとりでどうこうできるたぐのものでもありません。

 他人がいて言葉があるのです。自分が口にしたり文字にする言葉は他人との関係で揺れます。ブレます。

 自分はまわりにいる人とのあいだで形づくられる。あなたのそのしゃべり方は誰かのもの。あなたの顔は誰かに似ている。あなたの仕草は〇〇さん譲り。自分のようで誰かのものによって、自分はできている。

 言葉はあなたと私の間にある揺らめき。
 言葉はまわりの人とのあいだで揺らぎ移り変わる。

        *

 言葉は魔法。
 言葉は魔法です。
 言葉は、魔法です。
 言葉は魔法ですね。
 言葉は魔法ですよね。
 言葉は魔法でございます。
 言葉は魔法だがね。
 言葉って、ほら魔法じゃないですか。
 言葉が魔法。
 言葉はですね、魔法なんですよ。
 てか、言葉って魔法ぽくね?
 言葉は魔法なのだ。
 言葉は魔法っす。
 言葉、それは魔法……。
 言葉って魔法じゃない?
 魔法なんだよ、言葉っつうのは。
 魔法さ、言葉はね。
 言葉は魔法なんだってば。
 Words are magic.

 どれひとつとして同じものはありません。少なくとも私には。

 一つひとつを書き写してみると、違う自分がいて違う相手に向けて書いているのを感じます。移りゆくプリズム(多面体)としての自分を楽しむことができます。

 言葉はプリズム。

 それにしても日本語の表現の多様さはすごいと思います。たとえば英語だと、「言葉は魔法」に相当する言い方のバリエーションはずっと少ないはずです。

 こうしたレベルでの多様性は、相手との距離の取り方から生じているように思います。相手によって人格がころころ変わるなんて言ったら、言い過ぎでしょうか。

 日本語多重人格説なんて誰かが唱えていそうな気がしたので、"日本語多重人格"と"日本語多重人格説"というふうに、ちゃんと" "でくくって検索してみたのですが、ヒットしませんでした。

 日本語は多重人格。

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 上に挙げた「言葉は魔法」のバリエーションの羅列を見て揺れませんでしたか? 書き写しても楽しめますよ。

 もし、ふらっときたり、くらっとしたり、きりっとしたり、でれーっとなったり、やさしい気分になったり、おらおらという気持ちになったとしたら、何かがやって来たのです。何かとは、言葉かもしれませんし、ひょっとすると自分かもしれません。

 何とでも言えるのが言葉。
 言葉は魔法。