【小話】中身とづらがずれているという話

「仮面」とか「能面」を見て、気味が悪いと感じる時がありませんか? 最高に不気味なのは、何と言ってもデスマスクデスマスクもマスクデス。一度だけ、お能を観に行ったことがあるのですが、あまりにも退屈なので途中で眠ってしまいました。能面をデパートの催しで間近に見たことがあります。もちろん、展示してあるものでしたが、見る位置によって「表情」が変わって見えるのです。ミステリアスなものを感じました。

「表情」という言葉があります。個人的な意見なのですが、「表情」も一種の「仮面」だと思います。文学的な言い方ですが、「表情をまとう」なんて表現もあるくらいです。「表情を浮かべる」という言い方なら、日常会話でも出てきますね。ポイントは、表情は「浮かんでいる」ということです。要するに、内心は分からない。ベール(被い)に包まれている。

 やっぱり、「表情」は一種の「仮面」ではないでしょうか。演劇で考えてみましょう。劇場でのお芝居にしろ、テレビドラマにしろ、映画にしろ、劇は「ステージ=舞台」や「スタジオ」で行われます。観客との間が離れているわけですから、濃いめの「メイク=お化粧」をしますね。「化粧」は文字通り、「化ける」ことです。役者は「化ける」ことによって、喜怒哀楽などの表情を誇張し、隔たりのある場所にいる観客に伝えるわけです。

 すると、「顔=面=表情=化粧=表象=象徴」という、つながりが見えてきます。同時に、これらのものに、どこか「あやしい=怪しい=妖しい=面妖(めんよう)」というイメージが備わっているのも、何となく分かる気がしませんか?

「顔=面=表情=化粧=表象=象徴」に、もう一つ付け加えたいものがあります。「かつら」です。広辞苑によると、「かつら」は「かずら」「かづら」でもあるとのことです。分かったずら? 「かつら」も、一種の「象徴」だと言えそうです。人形は顔が命。オヤジはヅラが命。政治家と公務員はおもてヅラが命(もちろん、いいお仕事をなさっている人もいます)。言えてませんか? 中身とづらがずれている。よくできたづらほど値が張る。しかも鉄面皮。

 かつら、お面、仮面、お化粧、表情、顔つき――こうしたものは、さきほど書きました「表象の働き」とか「象徴の仕組み」という言葉でひっくるめることができそうです。要するに、Aの代わりに「Aではないもの」を用いることです。ぶっちゃけた話が、何かに「化ける」ことです。もう少しお上品に言うと「装う」ことです。

 どうして、人間は、Aの代わりに「Aではないもの」を用いる、などという奇妙なことをするのでしょう?

 個人的な意見を申しますと、人間が地球で威張っていることと関係があるような気がします。「威張る」というのは、文字通り「権威」をからだに「張る」こと。つまり、「虎の威を借りる」ということです。

 以上のことから「虎の威」とは「虎の衣」にほかならず、雷さまがはいている虎の「皮」のパンツと同じだと言えそうです。また、パンツは「メンツ=面子」に似ています。これも駄洒落ですが、意外と言えてませんか?

 ひょっとして、人は「面子=体面=面目」のために、正確にいえばメンツを保つために象徴をまとうのではないでしょうか? なぜって、中身とづら(面)がずれているからです。メンツを揃えるためでないことは確かなようです。